母成峠で戦いの後、土方歳三は、松平容保公と共に城下の滝沢本陣に留まったが持ちこたえる事はできず、ここから援軍を求めに庄内へ向かうため、容保公の実弟松平定敬の一行に加わって会津を去ったと思われます。戊辰戦争の時にはここが本営となり、土方をはじめ新選組隊士など、ここから出陣を命じられました。また戦いの場ともなり、現在も刀キズや弾痕など生々しい跡が残っています。